失って思い出す優しい記憶

先週の事ですが、伯父が亡くなりました。

母は末娘なので、長男だった伯父は私が子供の頃遊んでもらった時には50歳位だったでしょうか。

お盆や年末年始に遊びに行くと、裏の竹林から取ってきた竹を使って竹馬や弓矢を作ってくれて一緒に遊んでもらったものです。

当時小学生だった私は、特に虫や動物が好きで虫捕りや釣りに連れてって欲しいとせがんだものですが、嫌な顔一つしないで付き合ってくれました。

おおらかな人で、「カブトムシが欲しい!」と正月にせがんだ約束を覚えてくれていて、お盆に遊びに行った時には、木箱いっぱいのカブトムシ(100匹以上)を持ってきて好きなだけ持っていけとプレゼントしてくれました。
母の実家は農家だったので、堆肥の中にいた幼虫を土ごと放り込んだ結果だったそうですが、女の子の親戚の悲鳴と男の子親戚の悲鳴(それぞれ意味が違います)で大騒ぎでした。
さすがに全部は持って帰れず、30匹くらいずつ分けて持って帰ったので、しばらく小学校のクラス内では英雄でした^^:


もっと子供の頃は、豚小屋で飼っていた豚の子供を見て「欲しい!」「じゃぁくれてやる!」といって笑っていました。ウチはマンション住まいだったのにどうするつもりだったのでしょうかね当時の私^^:

父の仕事の都合で引越しの多かった子供の頃の私は、何年たってもお盆と正月だけは変わらず待っていてくれる伯父のいる家がほぼ唯一安らげる場所だったと思います。

転居が多いと友達作るのも億劫だし、転居後は連絡も次第に取らなくなりますしね。
転居後は転居後で新しい人間関係作るので気疲れしてしまうし。2年で転居とかありましたしね。

中学に上がり始めたあたりから大きな転勤がなくなり、中学生なりの都合で田舎に行かなくなってからは、多分8年くらい前に結婚の挨拶の時に行くまではお会いしてませんでした。

既に「おじいちゃん」になっていましたが、すごく喜んでくれて、家内に私の黒歴史を暴露しながら変わらず優しい顔で笑ってくれました。


煙草とお酒が大好きだった伯父の葬儀には、親戚以外にも家に入りきらないくらい沢山の方が参列してくださって、見送ってくれました。

大切な人を失った人は「もっと会っておきたかった、話したいことが沢山あった」と誰もが思うことですが、その時が来ないとやはり気がつかないものですね。

既に子供とは言えない年齢になって、見送る側になっている事を実感してしまいます。
子供時代を知っていてくれる人達が、「あのクソガキが立派になった」と思ってくれるよう、今後も頑張らばければと思います。

言葉を重ねても思い出や感謝が尽きることはないのですが、やはり感謝を込めて
            「伯父さん、いっぱい遊んでくれて本当にありがとう」
この言葉を贈らせて頂いて、お別れの言葉とさせていただきます。